カテゴリー「東北紀行」の14件の記事

2007年10月28日 (日)

教育資料館(旧登米高等尋常小学校)

登米(とよま)町には、明治時代に完成した高等尋常小学校の建物が残っています。
この建物は、明治21年(1888年)10月に竣工し、当時の町村としては破格の総額6287円という巨額のお金をつぎ込んでできあがりました。
手間暇をかけて造ったおかげで、100年以上経ったいまでも健在なのは、すごいことだと思います。


Photo

旧登米高等尋常小学校の校門です。
赤煉瓦(れんが)に、白く塗られた両開きの扉が特徴的だと思います。


Photo_3

二階部分から校舎中央にあるベランダ部分をとったところです。
校舎自体、いろんなところで木材を使った造りになっています。


Photo_4

一階から二階に上がる階段を撮ったところです。
木製の階段など、どことなく懐かしさが感じられます。


Photo_5

教室で行われていた授業の光景を、蝋人形を使って復元されたところです。
画像に写っている、木製のオルガン、そろばん、ダルマストーブなども、良い味を出していると思います。
ここでは、実施日が決まっているものの、昭和30年代の学校給食体験の申し込みもできるようになっています。


Photo

裁縫室の様子です。畳敷きになっていて、昔のアイロンとアイロン台、足踏みミシンが置いてあったのが印象的でした。


Photo_2

裁縫室の同じ部屋には、講堂と呼ばれる場所があります。 床の間と欄間が設けられており、床の間にかかっている掛け軸が印象的でした。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月25日 (木)

警察資料館(旧登米警察署庁舎)

登米(とよま)町には、かつて警察署の庁舎として使われていた建物が残っており、警察資料館として内部を公開されています。
建物は、明治22年(1889年)に造られ、洋風を取り入れた建築物になっています。


Photo

旧登米警察署の庁舎です。二階にはベランダが設置されていて、白塗りの壁が特徴的です。


Photo_2

建物の内部に入ると、一階部分に実物のパトカーが展示されています。
近くにあった案内板によると、スカイラインジャパン2000GTという車で、昭和55年(1980年)9月24日から昭和63年(1988年)12月23日まで、宮城県下で現役で活躍しました。


建物内部の二階部分の写真は撮っていませんが、制服や警棒など、警官が使う道具などが展示されていました。


Photo_3

パトカーの隣には、白バイが展示されていました。
そばにあった案内板によると、手前(左)のバイクは、HONDA CB・550CCです。奥(右)のバイクは、HONDA CB・650CCとのことです。


Photo_4

復元された留置場付近の様子です。床、壁ともに木製ですが、思った以上に頑丈なつくりになっているようでした。
中の写真は撮っていませんが、実際に入ってみると、窓は思ったよりも高い位置にあるし、あまり広くない部屋の片隅には、便所として使われていた穴がありました。個室ではなく、数人で入る部屋なので、快適性にはほど遠いようです・・・(>_<)



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月23日 (火)

登米の武家屋敷

登米(とよま)町は、登米伊達家が治める城下町だった影響で、町の中心付近では今でも武家屋敷の雰囲気が残っている場所があります。


Photo

旧水沢県庁のそばで見ることができる光景です。白と黒の壁が、かつての武家屋敷を連想するたたずまいになっています。


3

旧熊谷弓麿氏邸の門です。門は昔の雰囲気を残していますが、敷地内の住宅は現在も民家として活用されています。


2

春蘭亭の近くで見かけた門です。説明板によると、三間一戸の四脚門で、以前は茅葺きだったようです。


Photo_2

春蘭亭(旧鈴木家住宅)の門です。登米の武家屋敷は今も人が住んでいるので、敷地内に立ち入ることができませんが、ここは休憩所として活用されていますので、中に入って見学することができます。


Photo_5

門をくぐって、左側にある玄関付近の様子です。入り口に続いている石畳が印象的で、昔ながらの住居のたたずまいがします。


Photo_3

門の近くから住居を撮ったところです。茅葺きの屋根が印象的でした。庭の樹木は、そろそろ色が変わりかけていました。


Photo_4

庭から住居を撮ったところです。この建物に上がって、内部を見学したり、お茶やお菓子を頂きながら休憩することもできます。建物内部も、昔ながらの雰囲気を残しており、いいところでした。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月22日 (月)

旧水沢県庁庁舎

松島、平泉と巡ったあとは、登米市登米町(とめし とよままち)の中心部を散策しました。
ここは、宮城県の北部にある町です。江戸時代には登米伊達家が一万五千石(後に二万一千石に加増)の石高で治めていた土地で、明治初期には、一時的に登米県や水沢県の県庁のあった場所でもあります。


Photo

旧水沢県庁庁舎です。明治5年(1872年)から3年ほどの間、水沢県の県庁として使われていた建物です。その後は小学校や裁判所として活用されました。

かつては、広い敷地にいくつかの建物が建っていましたが、現在はかつての中心庁舎棟を以前の様式に復元して、水沢県庁記念館として、一般に公開されています。


Photo_2

玄関付近を撮ってみました。かつて県庁や裁判所として使われていただけあって、風格のある玄関だと思います。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月21日 (日)

達谷窟毘沙門堂(達谷西光寺)(後編)

前回(達谷窟毘沙門堂(達谷西光寺)(前編))の続きです。


Photo

写真の写りがイマイチですが・・・(^_^;)
金堂です。古くは講堂とも呼ばれていた建物です。明治のはじめ頃の廃仏毀釈騒動の時に金堂は破棄されました。昭和62年(1987年)に再建に取りかかり、平成8年(1996年)に完成した建物です。建築技術を後世に伝えるため、昔ながらの工法を用いて建てられました。


Photo_2
境内の白山池の辺りから金堂に向けて撮った写真です。


Photo_3
姫待不動堂です。かつては太田川の下流(毛越寺寄り)にある「姫待瀧」のそばに建っていたお堂ですが、寛政元年(1789年)に、この地に移されました。


Photo_5

姫待瀧(ひめまちのたき)です。
お寺で頂いた案内書によると、悪路王たちが、京からさらっていた姫君を窟上流の「籠姫」に閉じこめていました。この地で逃げ出す姫を待ち伏せていたことから、このような名前で呼ばれるようになったようです。このような事情を知らずに名前だけ聞くと、逢瀬などがあったかのような印象を受けるかも知れませんが、悲しい言い伝えがある場所のようです。


Photo_8

髢石(かつらいし)です。姫待瀧よりも川を下った(毛越寺寄り)ところで見かける岩です。
京でとらえた姫君が再び逃げ出さないように、姫君の黒髪を見せしめに切って、その髪を掛けた石と言われています。姫待瀧と同様に悲しい言い伝えがある場所のようです。

悲しい伝承がある場所ですが、岩の中に樹木が生えて茂っている珍しい岩だと思います。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月20日 (土)

達谷窟毘沙門堂(達谷西光寺)(前編)

平泉の毛越寺から5キロほど離れた場所に、達谷窟(たっこくのいわや)という場所があります。ここには、達谷西光寺(たっこくせいこうじ)というお寺があり、ここの毘沙門堂はなかなか見応えがあります。


いまから1200年ほど昔の延暦20年(801年)、悪路王、赤頭、高丸などが、この地に要塞を 構え乱暴狼藉をはたらいていたのを、朝廷から派遣された征夷大将軍の坂上田村麻呂が、激戦の末、 悪路王を打ち破り亡ぼしました。
坂上田村麻呂は、この戦の勝利を毘沙門天のご加護と感じ、京の清水寺の舞台を模した建物をこの地に建立して毘沙門天を祀ったのがこのお寺のはじまりです。


その後、前九年後三年の役の時に、源頼義公と義家公が戦勝祈願に訪れたり、奥州藤原氏の清衡公と 基衡公が七堂伽藍を建立したといわれています。
その後、何度か火災に見舞われ寺勢が衰えた時期もありましたが、慶長20年(1615年)に 伊達政宗公が毘沙門堂を建て直してからは、伊達家の祈願寺となりました。


Photo

西光寺の参道に建っている鳥居です。三つある鳥居のうちの「弐之鳥居」です。通常の神社で見かける鳥居とは、少し造りが変わっています。


Photo_2

「参之鳥居」です。弐之鳥居同様、他では見かけない造りになっています。
ちなみに壱之鳥居は、神社でよく見かける石造りの鳥居です。


Photo_3

毘沙門堂です。建物自体は何度か立て替えられていますが、征夷大将軍の坂上田村麻呂がこのお堂を建立したのが、このお寺のはじまりです。
写真の右下付近に、狛犬らしき石像が立っているのが確認できます。狛犬や鳥居があるのは、おそらく神仏習合のころの名残と思われます。


Photo_4

上の写真とは、逆の位置から撮った毘沙門堂です。


Photo_5

岩面大佛です。毘沙門堂の西のある、約33メートルの大岩壁に刻まれている磨崖佛です。前九年後三年の役で亡くなった兵士の霊を供養するために、源義家公が馬上より弓矢を使って削ったと伝えられています。


Photo_6

岩面大佛の顔(上半身)の辺りをアップに撮ってみました。仏様の顔が刻まれているのが確認できます。明治29年(1896年)に起きた地震で胸から下が崩落し、現在も磨滅がすすんでいるようです。


(後編)に続く。




Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月18日 (木)

特別史跡・特別名勝 毛越寺(後編)

前回(特別史跡・特別名勝 毛越寺(前編))の続きです。


Photo_2

常行堂です。現在の建物は、江戸時代の享保17年(1732年)に、仙台藩主の伊達吉村公が再建したお堂です。


Photo_3

常行堂(手前)と法華堂(奥)の跡です。ともに、常行三昧(ざんまい)、法華三昧という天台宗の修行の道場です。お寺で手に入れたよると、二つのお堂は、渡り廊下で結ばれていたようです。


Photo_4

毛越寺の浄土庭園の真ん中に位置する、大泉が池です。
かつては、この池に龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船を浮かべて、管弦の楽を奏したそうです。


Photo_5

もう一枚、浄土庭園の大泉が池を撮ってみました。池中立石(池に浮かぶ石)の高さは、2.5メートルあり、庭園の景観でも印象に残るものです。


Photo_6


常行堂の近くで見かけた「遣水(やりみず)」です。春には、曲水の宴(ごくすいのえん)と呼ばれる、遣水に盃を浮かべて、流れにそって和歌を詠んだりする、平安時代の歌遊びが行われます。平安時代の装束を身にまとい和歌を詠む姿は、さぞかし優雅な光景だと思われます。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月17日 (水)

特別史跡・特別名勝 毛越寺(前編)

中尊寺や義経堂を巡ったあとは、毛越寺(もうつうじ)に向かいました。


嘉祥3年(850年)に、慈覚大師が創建したと伝えられる寺院です。
一時期は、寺勢が衰えたことがありましたが、奥州藤原氏の初代清衡公、二代目基衡公のときに再興されました。三代目秀衡公のときに社堂坊舎を増築し、一時期は堂塔四十あまりを数える規模になったそうです。

鎌倉時代から室町時代にかけて、浄土庭園に建っていた金堂、講堂、嘉祥寺などが残念ながら焼失しました。
現在では、浄土庭園をはじめ開山堂・常行堂・本堂などを見ることができます。


ここは、「特別史跡」と「特別名勝」の特別二重国指定を受けている、珍しい寺院でもあります。


Photo

毛越寺の本堂です。平成元年(1989年)に建立された、比較的新しい建物です。ご本尊として、薬師如来が祀られています。


Photo_2

本堂の近くに広がっている浄土庭園です。真ん中の島は、かつて存在していた南大門と金堂(円隆寺)を結ぶ橋がつながっていました。


Photo_3

開山堂です。毛越寺を開山した慈覚大師を祀っているお堂です。


Photo_4

嘉祥寺の跡です。藤原基衡公が造り始め、秀衡公が完成させたと言われています。金堂の円隆寺と同じ規模の建物だったようです。


Photo

金堂円隆寺の跡です。基衡公が建立した勅願寺です。「吾妻鏡」の中では「吾朝無双(わがちょうむそう)」と称されるほど、万宝を尽くした建物だったようです。嘉禄2年(1226年)の火災で焼失したのは、惜しいものだと思います。


(後編)に続く。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月15日 (月)

高舘 義経堂

中尊寺の東側にある小さな丘陵で、源義経最期の地と言われている場所です。
義経公が健在のころは、もう少し広い丘だったと思われますが、長い年月の間に北上川によって丘が削られたためか、少し小さな丘になっています。


Photo

高舘の頂上付近にある、義経堂(ぎけいどう)です。
ガラス張りになっていますが、中には義経の像が安置されています。


Photo_2

高舘には、松尾芭蕉翁の俳句が刻まれた石碑もありました。
この石碑には、芭蕉翁が奥の細道を歩んだときに詠んだとされる、「夏草や 兵どもが 夢の跡」という俳句が刻まれています。


Photo_3

義経堂付近からの眺めです。
手前の川は北上川で、その向こうに見る山は束稲山(たばしねやま)です。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月14日 (日)

関山 中尊寺(後編)

前回(関山 中尊寺(前編))の続きです。


Photo

本堂の西側に建っている峯薬師堂です。ご本尊として薬師如来を祀っているお堂です。


Photo_2

弁慶堂です。建物の中には、武蔵坊弁慶の木像が安置されています。
内部の天井には、天井絵が描かれています。


Photo_3

中尊寺の東物見からの眺めです。北側にある衣川の方角に向けて撮りました。
少しもやがかかっているように見えますが、眺めがいいところでした。


Photo_4

月見坂です。表参道の入り口から弁慶堂のあたりまで続いている坂道です。
道の両脇には伊達藩が植樹した杉並木が続いています。



Blogランキングに参加しています。
もし気に入ったら、クリックをして頂けると嬉しいです。
   ↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧